昭和からの贈りもの 第6章 昭和13年〜16年 東京外国語学校時代の記録

 6-25.昭和15年 北アルプス縦走 2   ・ 


15.8.3 殺生小屋ヨリ槍頂上ヲ望ム

上は《15.8.3殺生小屋ヨリ槍頂上ヲ望ム》と記載されていますように、この山は《日本のマッターホルン》とも称される槍ヶ岳です。

3180mの標高は日本で5番目の高さの山で、多くの登山者がその頂上を目指しています。

また殺生小屋とは、槍ヶ岳登頂にはかかせない山小屋ですが、大正10年に猟師の小林喜作が設けたもので、猟師の小屋ということで、殺生小屋と名付けられたとも言われています。
また、北アルプスの多くの登山ルートも、この小林喜作が開拓したことから、その偉業を称え、近くには小林喜作のレリーフも作られています。
尚、こうした北アルプス登山ルートが広く紹介されたのが昭和4年で、同時にアルプスの山々に9箇所の登山小屋が作られました。
またこの昭和4年に登山誌の名著といわれる、田部重治の【山と渓谷】が発売され、12月には国産初のピッケルが作られます。



15.8.3 一ノ俣渓谷ニテ

15.8.3 梓川

上は《一ノ俣渓谷ニテ》と《梓川》と記載されていますので、槍ヶ岳から梓川方面に降りてきたようです。
7/31に登山を開始し、登山4日目の8/3に槍ヶ岳まで登頂し、そのまま上高地方面へ向かったと思われますが、槍ヶ岳から梓川までは標高差が1500m近くもありますので、かなりの下り道のようです。
右の写真をみても、山からだいぶ下ってきた感じが判ります。


15.8.3 上高地明神池

上は上高地明神池との記載がある通り、明神岳の麓の穂高神社奥宮境内にある明神池です。
ひょうたん型の大小2つの池があり、池には明神岳からの湧水が注いでいる為、透明度も高く神秘的な池として有名です。
写真をみても古いネガながら、透明度が感じられます。


15.8.4 上高地梓川畔

上には、《15.8.4 上高地梓川畔》と記載されていました。
3男が写っていますが、手には杖を持ち、足元は草鞋のように見え、いかにも当時の登山の格好にも思えるのですが、右端に見える人たちの中には、リュック姿があれば、着流しのような姿も見えます。
としますと、現在の上高地近辺の宿泊地が多い場所まで降りてきた時に撮ったものかも知れません。
現在のかっぱ橋近辺であれば、明神池からは1時間程の行程ですし、また昭和10年には、上高地のかっぱ橋までバスも運行を開始しています。
更に、昭和8年には帝国ホテルがオープンし、他にも何軒かの宿泊施設もあったようです。

下は1999年夏に上高地に行った時の写真で、左は梓川とかっぱ橋で、右が梓川と穂高連峰です。
とても爽やかなところで、たくさんの観光客で賑わっていたのを覚えていますが、現在は上高地の自然を守る為、マイカー規制が行われ、上高地を訪れるにはバスかタクシーを利用する事になります。



そして下の写真がこの一連の北アルプス登山の最後のネガです。
《15.8.5 汽車より諏訪湖ヲ見ル》となっていますように、登山を終え、中央本線にて東京に戻る際、諏訪湖を撮ったようです。

としますと、この時の登山は7/31高瀬川を出発し、8/1〜8/3は山小屋に泊まり、8/4が明神池か上高地に宿泊し、8/5に帰路に着く、6泊7日の登山だったのかも知れません。


15.8.5 汽車より諏訪湖ヲ見ル

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